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序章Ⅱ 難病と診断!今とは別人のワタシ

未来のヒントは過去にしかない。
幼い頃から今日に至るまで、
自分が大切にしてきたことを振り返る。

25歳  難病と診断された時は、

今のワタシとは正反対の人格で。

入院中は特に、
「生きる気力」は失っていたと思う。

ただ、お見舞いに来てくれる友達や、
当時0歳と1歳の娘たちの面倒を見てくれてる、
母親・妹にはそんな素振りは
申し訳なくて見せられなかった。

そう、ここでもワタシの悪い癖が。

「いい子ちゃんでいなくちゃ病」が
出ていたのだった。

この病が原因で自分を追い込み、
弱音を吐くことができず、
誰にも助けてと言えなかったのだ。

ずっとベッドの上だけで生活していて、
周りの患者さんと言葉を交わすことも、
窓の外景色を見ることも忘れていた。

外部コミュニケーション能力  ゼロの状態。

点滴での治療が終われば、
あとは体のしびれが徐々になくなるまで、
運動機能が回復するのを待つだけだった。

その間にも、MRI や髄液検査
(これが一番しんどかった)などもあったけど、

退屈な日々。

目次

目次

  1. 一生残るほどの心の傷を・・・負った彼女との会話で。
  2. しあわせはいつもじぶんのこころがきめる
  3. リハビリへのスイッチが入った。 とにかく帰りたい
  4. 8月8日、退院。末広がりで縁起がいい数字「八」
  5. 帰ってきたものの、思うように動かない体
  6. 心を満たすために何ができるか?

一生残るほどの心の傷を・・・負った彼女との会話で。

ある日 同室の誰か   カーテン越しに、
すすり泣く声が聞こえる。

ワタシは初めて、声をかけた。

「大丈夫ですか ? 」

返事は聴こえてこない。
きっと何か悲しいことがあったにちがいない。

ワタシもどれだけ病院のベッドの上で、
子どもたちが帰った後、
泣いたことか。

「さっきは無視してごめんなさい。
私、婚約者に振られちゃって・・・」

確かに入院当時、婚約者らしき人が来ていた。

理由を聞くと、どうやら私と同じように
不治の難病と診断された途端、
妊娠出産が困難な病気のため、
親族からの猛反対があり。

結婚式も決まっていたのに、白紙に。

 病気になっただけでも、相当辛いのに

さらに追い討ちをかけて、
一生残るほどの心の傷を・・・

かける言葉がみつからなかった。

「お子さんいて、うらやましいな。
私はもう、結婚も子供も無理かもなぁ」

その言葉がワタシの頭の中を、
ずーっとリフレインしてた。

次の日も、次の日も。

そんな時、ワタシが出会ったのは、
相田みつをさんの詩だった。

本当に彼女には申し訳ない気持ちだったけど、
気づいたことが「あった」

しあわせはいつもじぶんのこころがきめる

ワタシには、支えてくれる家族がいて

ワタシには、今 可愛い子ども達がいて、

ワタシの帰りを家で待っててくれてる。

その瞬間、なにかが弾けた。

「気づく」ってこのこと。
今でもはっきりと覚えている。

電気が走ったみたいな感覚。

顔をあげて、周りを見渡すようになった。
空を見上げるようになった。

ワタシだけじゃない。

ここ、病院にはたくさんの仲間がいて
みんな病気と必死に闘っていた。

ごめんなさい、本当にごめんなさい。

落ち込んでる場合じゃなかった。
落ち込んでちゃ、申し訳ないよ・・・
落ち込んでちゃ、なんにも始まらないよ!!

不幸中の幸か、シングルマザーで無職。

母子手当と、難病指定で医療費も免除。

ワタシの体さえ動いて、
なんとか日常生活さえ送れるようになれば、
退院できる。

それから考えればいい!

そうだ!そうだ!退院しよう!

リハビリへのスイッチが入った。 とにかく帰りたい

26歳で歩く練習した。
とにかく1日でも早く帰りたくて。

娘たちの顔を見ながら、
声を聞きながら、朝  目覚めたくて。

必死で頑張った。
ワタシの気持ちが変わってからは、
すべてが希望でしかなかった。

やっと、つかまりながら歩けるくらいになって、

主治医から
「子どもの声を聞いてた方が、
免疫力も上がるかな」って

優しくて思いやりのある
お言葉をいただき、退院決定。

8月8日、退院。末広がりで縁起がいい数字「八」

この日から毎年、8月8日は
ワタシにとって「再起の日」となる。

帰ってきたら、娘も
ちょうどつかまり立ちしてて、

「一緒だね」って笑った。

ちょっと見ないうちに、
いろいろ出来るようになって、

妹を「ママァ」って呼んでて、笑った。

なんか、久しぶりに心から笑った。

この日撮った写真は、一生の思い出。忘れない。

帰ってきたものの、思うように動かない体

トイレにだけは這ってでも行けるように、
なったくらいで。

家にいても、
なにもできない自分の存在がつらかった。

娘が泣いても、
腕の力が入らなくて抱いてあげられない。

オムツも替えられなければ、
離乳食も作れない。

なんともつらくて、もどかしい日々。

ありがたいことに、
3つ下の妹が会社を退職し、
娘たちの「育ての親」として、
世話してくれていた。

昔はね、私の背中に隠れて
なんでも「おねーちゃん やってよ」
「おねーちゃん お願い」って
ワタシに頼ってばかりの妹だった。

それが今は、妹がいなかったらたぶん無理。

ものすごく頼りにしている。

今思えば、我が家の「絆が強い」のも
こういう 山あり谷あり の人生を
みんなで乗り越えてきたから。だね。

この時の名残で未だに我が子たちは、
ワタシの妹のことを「ママ」と呼ぶ。

心を満たすために何ができるか?

25歳で人生のリセットボタンを
押すことになったワタシ。

空っぽになった
自分の心を満たしたのは、
ありきたりだけど、家族だった。

そして、一番強く感じた「生きる力の源」

あの日、自分の幸せはなんなのかを
改めて考え、

「自分のこころが決めた」

心を満たすためには、
家族に毎日会いたい。

声が聞きたい。

触れたい。

寝顔を見たい。

一緒に笑いたい。

だから、ワタシは「決めて」「動いた」

体はすぐには動かなかったけどね、
あきらめずに、少しずつ。

心を満たすためにできることは、「決めること」

2019.1.5   「再起の日。」  時子

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